お寺について
真言宗大覚寺派 田谷山 定泉寺(じょうせんじ)
室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。
本堂にある厄除木魚を厄年の方は年齢の数、他の方は二十一返たたき厄除を祈願し、
歓喜大黒天のお鈴を振り招福を祈願することができる。(厄除・招福)
境内は鎌倉幕府の武将和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の館跡と伝えられ、
修行大師・子安地蔵尊・子授けの玉石・輪導院(朝比奈弁才天)などの諸堂がある。
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室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。
本堂にある厄除木魚を厄年の方は年齢の数、他の方は二十一返たたき厄除を祈願し、
歓喜大黒天のお鈴を振り招福を祈願することができる。(厄除・招福)
境内は鎌倉幕府の武将和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の館跡と伝えられ、
修行大師・子安地蔵尊・子授けの玉石・輪導院(朝比奈弁才天)などの諸堂がある。
詳しくは田谷山瑜伽洞(たやさんゆがどう)と称し、元鶴ヶ岡二十五坊の修禅道場である。
鎌倉時代初期開創と伝えられ、江戸時代に至るまで適時拡張されて上下三段、総延長一粁余の壮大な規模となった。洞窟には本尊一願弘法大師をはじめ四国・西国・坂東・秩父各礼所本尊、両界曼茶羅諸尊、十八羅漢等数百体のみ仏が行者の手により壁面に刻まれ今も無言の説法をつづけている。地質は粘板岩の巨大な一枚岩で幾度かの大地震にも見事に耐えている。
また、合理性を備えた構造からは往時の土木技術の一端がうかがわれ、その点からも貴重な存在である。
静寂の洞内にいまなお残る無数のノミ跡は往時の久修練行を物語つつ巡拝者の心奥にひそむ浄菩提心の開花を願っているようである。